帰って来いよ、夏の甲子園へ ② 完結編

 ただし、慶応義塾高戦では必死カッパで応援しましたが、3回戦の済美高戦では、慶應戦ほどのテンションの高さはありませんでした。正直、市商にあまりに勢いよく勝ち進まれ、自信をつけられ、人気が高まり、県内の有望選手がかつての黄金時代の如く集中し、市商天下になる危惧から、

「今回は、勝っても負けてもえいかなぁ…。」

 なんていうケチくさい考えも脳裏に浮かんだ土佐高ファンであります。

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 やっぱり、高知商の存在っていうのは、私にとってはあくまでも乗り越えなければならぬ好敵手(ライバル)。いつまでも、心底応援する学校ではないのです。

 であるからこそ、済美に軍配が上がった瞬間、さほどの悔しさは私の胸には迫って来ず、いや、市商のことは瞬時にして薄れ、私の頭は土佐高のことで一杯になりました。

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 そして、

「次に夏の甲子園に帰ってくるのは、土佐高の応援の際に限る!」

 という決意がふつふつと沸いてきて、市商応援気分が消滅し、市商倒すモードに切り替わり、打倒市商の闘志がたぎってました。

 甲子園では、試合開始前、甲子園のバックスクリーンには、各県のこれまで活躍した高校の試合が紹介され、高知県では、土佐高・高知高・高知商明徳義塾高の懐かしいシーンが映し出されました。

 土佐高のは、第35回大会(昭和28年)の松山商戦なので、私は生まれていない時のものでした。泉丘・浪華商・中京商をたて続けに撃破しての準優勝で、優勝旗なき優勝校とたたえられた試合です。土佐高って、強くて、輝かしい栄光の歴史を持っているのですね。

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 これを過去の栄光として懐かしむばかりではなく、今も強くなって甲子園に舞い戻ってきてほしいと強く、強く願います。そうでないと、あんなにエキサイティングでスリリングかつ、感動の試合を夏の甲子園で味わう機会が私には一生訪れないからです。

 なにせ、本気で、「次に夏の甲子園に帰ってくるのは、土佐高の応援の際に限る!」と決めたのですから。